2017年05月02日
どちらか一方に決められない。これを優柔不断というのか
すっぽり、ずっぽり、悩みの真ん中にいる。
迷いである。
道が二つある。
どちらにするか。
Aを選択するとBは選択できない。
Bを選択するとAは選択できない。
同時に二つは不可能。
たまたま不運にも時期が重なった。
どちらを選択しても、悔いが残る。スッキリしない。
期限、タイムリミットが来て、とりあえず、自分の全知力、全理性をかき集めて、Aのコースを選んだ。
しかし、Bのコースには未練たらたら。
どちらを選んでも、わたしは幸せにはなれない。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
わたしの欲深さに原因があるのか。
こんな時はどうすればいい?
しばらく、放置して、こころのままに過ごしてみるか。
かつて、同じように選択分岐点で、真っ二つにニュートラルになったことがある。
答を出す日が来たが、どちらも五分五分で全く結論が出ず、とりあえず、えいやっと目をつぶって無理やり選んだ。
結果的には、選択は失敗を招き、多額の違約金を払わされた。
お金で済んだからまだマシだった。
こういう時は、どちらを選んでも、失敗する。
つまり、失敗が導く、暗黒の具体的な結果に、もうじきまたもや、直面させられる。
その覚悟をしなければならない。
おそらく、まだ、自分には決める段階まで考えが煮詰まっていないのだと思う。
自然に熟した果実がぽとりと落ちるように、道が選択できたら良いが、生木を裂く感じで、無理やり決定しようとしている。
時期尚早。
物事の発生したタイミングが悪い。
Aを選んでもBを選んでも、両方上手く行かないと思われる。
その宙ぶらりん状態で、一方のコースに動いている。
後戻りができない。
船は、私を乗せて出航してしまった。
しかも、どんどん走っている。
次の港まで遠く、さらに後戻りして、やり直すには、多大な迷惑をかける。
やり直す時間も残っていない。
さらに、今回、動いている船のチョイスは、一度、座礁に乗り上げ、白紙に戻ってから、また復活したという、最初から難航している。
まるで、これからの船旅が順風満帆には行かないと暗示しているかのごとく。
今は、あの時、白紙のままリセットされていれば良かったと思ったりもしている。
この今回の案件は、そもそも、私には幸せをもたらしてくれない、厄病神付きの出来事だったのではないだろうか。
今までの失敗経験を活かしたいところだが、その経験から得たものは、「こういう場合は、失敗は免れられない、悪い結果は避けられない」という方程式の答えだ。
避けられない失敗の結果をもうじき受けることになるが、少しでも痛さを我慢できるよう、覚悟しておくしかないのか。
みすみすマイナスの結果が分かっていて、対策を講じられずに待つのは辛いものである。
過ぎるのを待つしかないのか。
いずれ、事が進み時間が経てば、選択しなかったほうのコースを忘れるようになるのだろうか。
嵐の前夜の気分である。
嵐が去れば何事もなかったかのように、静かな朝を迎えられるのだろうか。
船はどんどん進んでいるのに、まだ延々と悶々としている。
迷いである。
道が二つある。
どちらにするか。
Aを選択するとBは選択できない。
Bを選択するとAは選択できない。
同時に二つは不可能。
たまたま不運にも時期が重なった。
どちらを選択しても、悔いが残る。スッキリしない。
期限、タイムリミットが来て、とりあえず、自分の全知力、全理性をかき集めて、Aのコースを選んだ。
しかし、Bのコースには未練たらたら。
どちらを選んでも、わたしは幸せにはなれない。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
わたしの欲深さに原因があるのか。
こんな時はどうすればいい?
しばらく、放置して、こころのままに過ごしてみるか。
かつて、同じように選択分岐点で、真っ二つにニュートラルになったことがある。
答を出す日が来たが、どちらも五分五分で全く結論が出ず、とりあえず、えいやっと目をつぶって無理やり選んだ。
結果的には、選択は失敗を招き、多額の違約金を払わされた。
お金で済んだからまだマシだった。
こういう時は、どちらを選んでも、失敗する。
つまり、失敗が導く、暗黒の具体的な結果に、もうじきまたもや、直面させられる。
その覚悟をしなければならない。
おそらく、まだ、自分には決める段階まで考えが煮詰まっていないのだと思う。
自然に熟した果実がぽとりと落ちるように、道が選択できたら良いが、生木を裂く感じで、無理やり決定しようとしている。
時期尚早。
物事の発生したタイミングが悪い。
Aを選んでもBを選んでも、両方上手く行かないと思われる。
その宙ぶらりん状態で、一方のコースに動いている。
後戻りができない。
船は、私を乗せて出航してしまった。
しかも、どんどん走っている。
次の港まで遠く、さらに後戻りして、やり直すには、多大な迷惑をかける。
やり直す時間も残っていない。
さらに、今回、動いている船のチョイスは、一度、座礁に乗り上げ、白紙に戻ってから、また復活したという、最初から難航している。
まるで、これからの船旅が順風満帆には行かないと暗示しているかのごとく。
今は、あの時、白紙のままリセットされていれば良かったと思ったりもしている。
この今回の案件は、そもそも、私には幸せをもたらしてくれない、厄病神付きの出来事だったのではないだろうか。
今までの失敗経験を活かしたいところだが、その経験から得たものは、「こういう場合は、失敗は免れられない、悪い結果は避けられない」という方程式の答えだ。
避けられない失敗の結果をもうじき受けることになるが、少しでも痛さを我慢できるよう、覚悟しておくしかないのか。
みすみすマイナスの結果が分かっていて、対策を講じられずに待つのは辛いものである。
過ぎるのを待つしかないのか。
いずれ、事が進み時間が経てば、選択しなかったほうのコースを忘れるようになるのだろうか。
嵐の前夜の気分である。
嵐が去れば何事もなかったかのように、静かな朝を迎えられるのだろうか。
船はどんどん進んでいるのに、まだ延々と悶々としている。
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11:32
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2016年09月26日
失くして得たもの
30年も前の話だが関西に住む姪の結婚式で4~5日の間家を留守にした時の出来事である。常連のお客には予め予告し、店頭にはご丁寧に日程を記して出発した。後で気付いたことだが実に愚かな振る舞いで泥棒への道案内になってしまったのである。飲食店と古美術店を併営していてお客様への配慮に気を取られた結果であった如新nuskin產品。
帰宅して車を停めるや否や倅たちに店舗の鍵を開けるよう指示し私は自宅を開錠して点検??異常の有無を確認した。倅が駆け寄って来て店舗の鍵が開いているという。ひょっとしたら???嫌な予感を感じて店内の灯りを点けた。泥棒に入られたようだ。咄嗟に手荷物を落としてしまった。
飲食店では和洋酒の大幅値上げの予告があった時で大量にストックしていたがそれらの品には一切手をつけず二重施錠の隣室??美術骨董品が殆ど空っぽ状態であった。
早速警察に通報し来店の刑事や鑑識係りで見聞が始まった。係官から被害品の点数や詳細を訊かれるのだが、頭の中が混乱して何を何点無くなったなど即答できない。ショウケースに飾ってあった高級象牙の根付類などは平常時なら作域、作者、図柄がすらすらと言えるのに言葉にならないのだ。3時間余り現場の情況調査と説明??品物の買い入れ経路などを訊かれ警察の担当者たちは帰られた。
3日が経ち一週間が過ぎた頃「あれが無い、此処に置いたあの品が無い」と気付き、その都度警察に出向いては被害の追加報告をしたことであった。こういう類の盗品は戻った例がない??というのが通例だが、取引関係者や仲間、「市場」の会主に促がされ被害品のメモを各方面に配布したが所詮気休めに過ぎなかった。暫らくの間お客に慰められたり、又他の客からは間抜けだと笑われる日が続いた如新nuskin產品。
高額で危険の伴う刀剣や刀装具は別棟の自室に施錠しておいて助かったが、相当数の品物が盗難に遭った。今ならカメラやパソコンの電子機器が犯人を特定したことだと思うが当時は装備もなかった頃である。日数の経過で忘れようと努めたが、盗難の後遺症だろうか、2ヶ月くらいの間は、見慣れない客だと「事後の様子伺いか?」と思って見たり、「ひょっとするとこの人は??」などとちっぽけな気持ちにさせられた。
そんなことを思う自分自身に嫌悪を抱いて「骨董を止めようか???と本気で考えたこともあった。
盗られた中の一点に今尚未練が残る品がある。美術品と言える類ではないが父親の形見として私が受け継いだ《筑前琵琶》である。初世「橘旭翁」の門下だった父が演奏会などに携行した五弦琵琶だ。橘紋の弾法服や烏帽子、教本などが今も手許に残っているのが悔しい。戻る希みは捨てたが時折親父の位牌に向って詫びる私である。
盗難事件から半年余りが経ち、諦観と忘却に努めていた頃、東京湾の対岸警察から一本の電話があった。「泥棒が捕まったのか?」と心弾ませたのだが来店した刑事の話は全く別件であった。
『こんな男が刀の鍔を売りに来たでしょう?? 此方に盗みに入る下見に来た様です??』
世の中には様々な社会があるようだ。当時発着していたフェリーボートの定期乗船券で往復していたという通称「通勤泥棒」がいて大病院の院長宅が刀剣などの被害に遭ったと聞かされた。そういえば病院長の娘婿だと名乗った男から私は刀の鍔を一枚買い取っていた。台帳を提示、止む無くその鍔を返却した。たかが鍔一枚??だが欲しい品だったので高額で買い取っていた。担当刑事氏は当方の話から同情を寄せて下さり、次に来店のとき??
『被害の病院長も事情を理解されましてね??相手様も被害者、
迷惑はお互いだからと仰って、御礼の現金を預かりましたので
受領書にサインをお願いします??』と依頼があった旨を説明された如新nuskin產品。
「それでは院長先生が二重の損??という結果になります。
私がこの金子を戴く訳には参りません??」
と断わったが『申し付かったことですから受け取って戴かないと私も困ります??』というので従うことにする。大岡裁きを見せてくれた刑事氏の振る舞いに嬉しい気持ちにさせられた私であった。翌朝、全く面識の無い病院長という人からお礼の電話が入る。
『博物館の鑑定証を付されてまで愛蔵なさった品を
戻して頂き恐縮しております。有難うございました??』
とその理由を言っておられたが愛刀家の心情をお互いが理解し合え、その日はとても穏やかな気分になれた。古美術を愛玩する者にとって盗難に遭うということは大きな精神的負担である。
『古女房が盗まれたのなら 直ぐにも替わりを見つかるけど、
美術品の代わりばかりは そう簡単に見つからないからな??』
盗難事件の後、仲間たちとは冗談を交わしたものだが、その古女房も一昔前に此岸を去ってしまった。古い骨董仲間も気が付けば順次彼岸に旅立って行く。時が過ぎた今頃になって金子や天秤棒では計ることの出来ない女房や仲間たちの存在を改めて想い出している私である。
帰宅して車を停めるや否や倅たちに店舗の鍵を開けるよう指示し私は自宅を開錠して点検??異常の有無を確認した。倅が駆け寄って来て店舗の鍵が開いているという。ひょっとしたら???嫌な予感を感じて店内の灯りを点けた。泥棒に入られたようだ。咄嗟に手荷物を落としてしまった。
飲食店では和洋酒の大幅値上げの予告があった時で大量にストックしていたがそれらの品には一切手をつけず二重施錠の隣室??美術骨董品が殆ど空っぽ状態であった。
早速警察に通報し来店の刑事や鑑識係りで見聞が始まった。係官から被害品の点数や詳細を訊かれるのだが、頭の中が混乱して何を何点無くなったなど即答できない。ショウケースに飾ってあった高級象牙の根付類などは平常時なら作域、作者、図柄がすらすらと言えるのに言葉にならないのだ。3時間余り現場の情況調査と説明??品物の買い入れ経路などを訊かれ警察の担当者たちは帰られた。
3日が経ち一週間が過ぎた頃「あれが無い、此処に置いたあの品が無い」と気付き、その都度警察に出向いては被害の追加報告をしたことであった。こういう類の盗品は戻った例がない??というのが通例だが、取引関係者や仲間、「市場」の会主に促がされ被害品のメモを各方面に配布したが所詮気休めに過ぎなかった。暫らくの間お客に慰められたり、又他の客からは間抜けだと笑われる日が続いた如新nuskin產品。
高額で危険の伴う刀剣や刀装具は別棟の自室に施錠しておいて助かったが、相当数の品物が盗難に遭った。今ならカメラやパソコンの電子機器が犯人を特定したことだと思うが当時は装備もなかった頃である。日数の経過で忘れようと努めたが、盗難の後遺症だろうか、2ヶ月くらいの間は、見慣れない客だと「事後の様子伺いか?」と思って見たり、「ひょっとするとこの人は??」などとちっぽけな気持ちにさせられた。
そんなことを思う自分自身に嫌悪を抱いて「骨董を止めようか???と本気で考えたこともあった。
盗られた中の一点に今尚未練が残る品がある。美術品と言える類ではないが父親の形見として私が受け継いだ《筑前琵琶》である。初世「橘旭翁」の門下だった父が演奏会などに携行した五弦琵琶だ。橘紋の弾法服や烏帽子、教本などが今も手許に残っているのが悔しい。戻る希みは捨てたが時折親父の位牌に向って詫びる私である。
盗難事件から半年余りが経ち、諦観と忘却に努めていた頃、東京湾の対岸警察から一本の電話があった。「泥棒が捕まったのか?」と心弾ませたのだが来店した刑事の話は全く別件であった。
『こんな男が刀の鍔を売りに来たでしょう?? 此方に盗みに入る下見に来た様です??』
世の中には様々な社会があるようだ。当時発着していたフェリーボートの定期乗船券で往復していたという通称「通勤泥棒」がいて大病院の院長宅が刀剣などの被害に遭ったと聞かされた。そういえば病院長の娘婿だと名乗った男から私は刀の鍔を一枚買い取っていた。台帳を提示、止む無くその鍔を返却した。たかが鍔一枚??だが欲しい品だったので高額で買い取っていた。担当刑事氏は当方の話から同情を寄せて下さり、次に来店のとき??
『被害の病院長も事情を理解されましてね??相手様も被害者、
迷惑はお互いだからと仰って、御礼の現金を預かりましたので
受領書にサインをお願いします??』と依頼があった旨を説明された如新nuskin產品。
「それでは院長先生が二重の損??という結果になります。
私がこの金子を戴く訳には参りません??」
と断わったが『申し付かったことですから受け取って戴かないと私も困ります??』というので従うことにする。大岡裁きを見せてくれた刑事氏の振る舞いに嬉しい気持ちにさせられた私であった。翌朝、全く面識の無い病院長という人からお礼の電話が入る。
『博物館の鑑定証を付されてまで愛蔵なさった品を
戻して頂き恐縮しております。有難うございました??』
とその理由を言っておられたが愛刀家の心情をお互いが理解し合え、その日はとても穏やかな気分になれた。古美術を愛玩する者にとって盗難に遭うということは大きな精神的負担である。
『古女房が盗まれたのなら 直ぐにも替わりを見つかるけど、
美術品の代わりばかりは そう簡単に見つからないからな??』
盗難事件の後、仲間たちとは冗談を交わしたものだが、その古女房も一昔前に此岸を去ってしまった。古い骨董仲間も気が付けば順次彼岸に旅立って行く。時が過ぎた今頃になって金子や天秤棒では計ることの出来ない女房や仲間たちの存在を改めて想い出している私である。
Posted by gren at
20:41
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2016年08月31日
大人になりたい
私の勤務先には若者がいないと、入社当時からずっと思っていた。3年目となり、新入社員も入ったとはいえ、やはり相対的に見たらおじさまが多い。おじさまはどこの会社にも
いるだろうが、私の勤務先はおじいちゃんも多い。これは会社にもよるのではないだろうかPretty Renew 銷售手法。
私は基本的にお年寄りの相手をするのは大得意なため、おじいちゃんと打ち合わせなどでお出かけとなっても全く苦ではない。もちろん、口数がすくない系おじいちゃんだとどう
しようかなと思うこともあるが、大半のおじいちゃんたちは孫ほど年の離れた若者としゃべりたがる。そのリクエストにお答えして、親しみをこめておしゃべりするのが得意なよ
うだ。なぜお年寄りとおしゃべりのが得意なのかと考えてみると、「あまり敬語を使わなくても怒られない、むしろちょっと親しい感じが出て喜ばれる(ことがおおい)」ことと
、私が敬語を使えないタイプの人間であるということが上手くマッチしているからなのでは、と推測している。今日からローラと呼んでくださいPretty Renew 銷售手法。
なぜ、敬語が苦手なのか。子供の頃から敬語が苦手であった記憶がある。親にかしこまった姿を見られるのが恥ずかしかったことが原因だろう。私のような仕事やりたくないオー
ラを出しまくり、課全体のやる気を削いで業務効率を下げることが朝の日課の人間が、何を偉そうにかしこまっているんだ、と今でも思うことがある。何を一丁前にしてるんだっ
て思われそうということである。人間以下に思われているという認識で生きているのか私は。そういう自意識過剰を引きずって、今でも苦手である。かしこまった言葉については
、社会人になって先輩の電話対応や打ち合わせでの言い回しを聞いてある程度身に付けたが、未だに「語尾」がかしこまれない。特に雑談は難しい。尻つぼみなしゃべり方をして
いるからなのだろうか。相槌もかしこまれないPretty Renew 銷售手法。
でも、これがお年寄りには結構ヒットすることが多いのである。逆に年が近くなればなるほどヒットしない=若者にはモテないということにもならなくはない。単純に小さいころ
から祖父母と生活していたこともあり、会話の感覚も無意識に土台ができているのであろう。祖父母との生活と自意識過剰な性格が意外なところで役に立った。これからは高齢化
社会である、お年寄りとの接し方が得意というのは将来役に立つのかもしれないと前向きにまとめようと思ったが、人間ができていれば基本的に誰でもできることだ、偉そうに語
るのはやめておかないと誰も読んでくれなくなってしまう。いい大人なので敬語が苦手とかバカなことを言っていないで、もう少し真剣に人と会話をしていきたい(前向き)。
本日も1名読者の方がついたのです!!!すごくうれしい!!!ありがとうございます!!!私も牧場物語大好きです!!!
いるだろうが、私の勤務先はおじいちゃんも多い。これは会社にもよるのではないだろうかPretty Renew 銷售手法。
私は基本的にお年寄りの相手をするのは大得意なため、おじいちゃんと打ち合わせなどでお出かけとなっても全く苦ではない。もちろん、口数がすくない系おじいちゃんだとどう
しようかなと思うこともあるが、大半のおじいちゃんたちは孫ほど年の離れた若者としゃべりたがる。そのリクエストにお答えして、親しみをこめておしゃべりするのが得意なよ
うだ。なぜお年寄りとおしゃべりのが得意なのかと考えてみると、「あまり敬語を使わなくても怒られない、むしろちょっと親しい感じが出て喜ばれる(ことがおおい)」ことと
、私が敬語を使えないタイプの人間であるということが上手くマッチしているからなのでは、と推測している。今日からローラと呼んでくださいPretty Renew 銷售手法。
なぜ、敬語が苦手なのか。子供の頃から敬語が苦手であった記憶がある。親にかしこまった姿を見られるのが恥ずかしかったことが原因だろう。私のような仕事やりたくないオー
ラを出しまくり、課全体のやる気を削いで業務効率を下げることが朝の日課の人間が、何を偉そうにかしこまっているんだ、と今でも思うことがある。何を一丁前にしてるんだっ
て思われそうということである。人間以下に思われているという認識で生きているのか私は。そういう自意識過剰を引きずって、今でも苦手である。かしこまった言葉については
、社会人になって先輩の電話対応や打ち合わせでの言い回しを聞いてある程度身に付けたが、未だに「語尾」がかしこまれない。特に雑談は難しい。尻つぼみなしゃべり方をして
いるからなのだろうか。相槌もかしこまれないPretty Renew 銷售手法。
でも、これがお年寄りには結構ヒットすることが多いのである。逆に年が近くなればなるほどヒットしない=若者にはモテないということにもならなくはない。単純に小さいころ
から祖父母と生活していたこともあり、会話の感覚も無意識に土台ができているのであろう。祖父母との生活と自意識過剰な性格が意外なところで役に立った。これからは高齢化
社会である、お年寄りとの接し方が得意というのは将来役に立つのかもしれないと前向きにまとめようと思ったが、人間ができていれば基本的に誰でもできることだ、偉そうに語
るのはやめておかないと誰も読んでくれなくなってしまう。いい大人なので敬語が苦手とかバカなことを言っていないで、もう少し真剣に人と会話をしていきたい(前向き)。
本日も1名読者の方がついたのです!!!すごくうれしい!!!ありがとうございます!!!私も牧場物語大好きです!!!
Posted by gren at
11:06
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2016年07月19日
言語感覚
「崖から飛び降りる」。これは、私には自殺ないしハングライダー。「決意」という意味であるなら、「清水の舞台から」でないと日本語にはならない。と、思うのだけれど???。
久保の兄貴の記事の中にアウトサイダー=部外者、なんか変? ということが出てくる。兄貴の翻訳では「はみだし者」「はぐれ者」。私も兄貴と同感であるdream beauty pro 好唔好。
なんかこういう言語感覚の人たちはあんまり信用しない。日本語として変だし、もし、彼らがそういう風に考えているのならば、「こちらの微細な脳内の精神世界」を理解できるとは思えない。
ブーツストラップさんの記事の中に、どきっとするフレーズ。すいません、私なりに勝手に要約してしまいます。「運のいい人というのは、日毎宝くじを買い、ちっとも当たらず平穏な日常を送っている人なのではないか」というコードが出てくる。私は涙が出るほど感動したのである。「運のいい人」は私なりに「幸福な人」になる。「毎日毎日、ピアノに精進しているのに、ちっとも当たらないジャズピアニストの平穏な日常」。すっ、凄いっとマジで実感体感したのであるdream beauty pro 脫毛。
私は仮面ライダーでも、キカイダーでも、三ツ矢サイダーでもなく、もちろん、マグマ大使でもミラーマンでもない。そっ、アウトサイダー。この中に世間への超複雑な怨念と超自我超自負と超卑下の???、もう、煎じ詰めると人生全体、生きていること、人類史、ホモサピエンス、弥生時代へと複雑な気持ちがテラノザウルスする。
「えっ、イサオ。あーーー、インサイダーの中じゃ、結構知られているよ」。フ
リージャズメンは全員アウトサイダー。アウトサイダーのインサイドってなんなの? 部内者? ちゃうちゃう、「仲間」。徒党を組まない一匹狼がたまたま一緒にいる。一匹狼同士の「逆」仲間意識は強いのかも。リムジーンドライバーたちもそうだ。そして、一匹でいる野郎ほど、我々は尊敬する。半端じゃねぇー、はぐれ者って。座頭市みたいな感じかしらねぇー、楽器持った。そっ、音楽用語のバンドって「群れ」という意味だから、私は使わない。
久保の兄貴の記事の中にアウトサイダー=部外者、なんか変? ということが出てくる。兄貴の翻訳では「はみだし者」「はぐれ者」。私も兄貴と同感であるdream beauty pro 好唔好。
なんかこういう言語感覚の人たちはあんまり信用しない。日本語として変だし、もし、彼らがそういう風に考えているのならば、「こちらの微細な脳内の精神世界」を理解できるとは思えない。
ブーツストラップさんの記事の中に、どきっとするフレーズ。すいません、私なりに勝手に要約してしまいます。「運のいい人というのは、日毎宝くじを買い、ちっとも当たらず平穏な日常を送っている人なのではないか」というコードが出てくる。私は涙が出るほど感動したのである。「運のいい人」は私なりに「幸福な人」になる。「毎日毎日、ピアノに精進しているのに、ちっとも当たらないジャズピアニストの平穏な日常」。すっ、凄いっとマジで実感体感したのであるdream beauty pro 脫毛。
私は仮面ライダーでも、キカイダーでも、三ツ矢サイダーでもなく、もちろん、マグマ大使でもミラーマンでもない。そっ、アウトサイダー。この中に世間への超複雑な怨念と超自我超自負と超卑下の???、もう、煎じ詰めると人生全体、生きていること、人類史、ホモサピエンス、弥生時代へと複雑な気持ちがテラノザウルスする。
「えっ、イサオ。あーーー、インサイダーの中じゃ、結構知られているよ」。フ
リージャズメンは全員アウトサイダー。アウトサイダーのインサイドってなんなの? 部内者? ちゃうちゃう、「仲間」。徒党を組まない一匹狼がたまたま一緒にいる。一匹狼同士の「逆」仲間意識は強いのかも。リムジーンドライバーたちもそうだ。そして、一匹でいる野郎ほど、我々は尊敬する。半端じゃねぇー、はぐれ者って。座頭市みたいな感じかしらねぇー、楽器持った。そっ、音楽用語のバンドって「群れ」という意味だから、私は使わない。
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15:23
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2016年06月14日
いつも走り書き

だんだんと、あれしたこれしたと書くだけの日記になりつつある。もともと内容的にはそんなものだけど、そんなもんなりに上を見て書いていた頃のようには没頭できないから短くなる。それでも書かないよりもいいかなと思って書くなり能恩。
昨日はぼた餅を作るのを手伝ったり、花火をしたり岩盤浴したり露天風呂で星を見上げたりして充実した一日だった。
実家の母の机の上に編み物の道具があった。昔はともかく、この何十年かは母が編み物をしているところを見たことはなかったので、なんだろう、離れたところで親子して最近同じことしてたんだなぁとおかしくなった能恩。
と、書いているうちにザーっと強い雨が降って来た。普段マンションに住んでいるからか、庭や屋根で鳴る雨音が心地いい能恩。
Posted by gren at
15:35
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