2016年09月26日

失くして得たもの

30年も前の話だが関西に住む姪の結婚式で4~5日の間家を留守にした時の出来事である。常連のお客には予め予告し、店頭にはご丁寧に日程を記して出発した。後で気付いたことだが実に愚かな振る舞いで泥棒への道案内になってしまったのである。飲食店と古美術店を併営していてお客様への配慮に気を取られた結果であった如新nuskin產品


帰宅して車を停めるや否や倅たちに店舗の鍵を開けるよう指示し私は自宅を開錠して点検??異常の有無を確認した。倅が駆け寄って来て店舗の鍵が開いているという。ひょっとしたら???嫌な予感を感じて店内の灯りを点けた。泥棒に入られたようだ。咄嗟に手荷物を落としてしまった。
飲食店では和洋酒の大幅値上げの予告があった時で大量にストックしていたがそれらの品には一切手をつけず二重施錠の隣室??美術骨董品が殆ど空っぽ状態であった。


早速警察に通報し来店の刑事や鑑識係りで見聞が始まった。係官から被害品の点数や詳細を訊かれるのだが、頭の中が混乱して何を何点無くなったなど即答できない。ショウケースに飾ってあった高級象牙の根付類などは平常時なら作域、作者、図柄がすらすらと言えるのに言葉にならないのだ。3時間余り現場の情況調査と説明??品物の買い入れ経路などを訊かれ警察の担当者たちは帰られた。


3日が経ち一週間が過ぎた頃「あれが無い、此処に置いたあの品が無い」と気付き、その都度警察に出向いては被害の追加報告をしたことであった。こういう類の盗品は戻った例がない??というのが通例だが、取引関係者や仲間、「市場」の会主に促がされ被害品のメモを各方面に配布したが所詮気休めに過ぎなかった。暫らくの間お客に慰められたり、又他の客からは間抜けだと笑われる日が続いた如新nuskin產品


高額で危険の伴う刀剣や刀装具は別棟の自室に施錠しておいて助かったが、相当数の品物が盗難に遭った。今ならカメラやパソコンの電子機器が犯人を特定したことだと思うが当時は装備もなかった頃である。日数の経過で忘れようと努めたが、盗難の後遺症だろうか、2ヶ月くらいの間は、見慣れない客だと「事後の様子伺いか?」と思って見たり、「ひょっとするとこの人は??」などとちっぽけな気持ちにさせられた。


そんなことを思う自分自身に嫌悪を抱いて「骨董を止めようか???と本気で考えたこともあった。
盗られた中の一点に今尚未練が残る品がある。美術品と言える類ではないが父親の形見として私が受け継いだ《筑前琵琶》である。初世「橘旭翁」の門下だった父が演奏会などに携行した五弦琵琶だ。橘紋の弾法服や烏帽子、教本などが今も手許に残っているのが悔しい。戻る希みは捨てたが時折親父の位牌に向って詫びる私である。


盗難事件から半年余りが経ち、諦観と忘却に努めていた頃、東京湾の対岸警察から一本の電話があった。「泥棒が捕まったのか?」と心弾ませたのだが来店した刑事の話は全く別件であった。


 『こんな男が刀の鍔を売りに来たでしょう?? 此方に盗みに入る下見に来た様です??』


世の中には様々な社会があるようだ。当時発着していたフェリーボートの定期乗船券で往復していたという通称「通勤泥棒」がいて大病院の院長宅が刀剣などの被害に遭ったと聞かされた。そういえば病院長の娘婿だと名乗った男から私は刀の鍔を一枚買い取っていた。台帳を提示、止む無くその鍔を返却した。たかが鍔一枚??だが欲しい品だったので高額で買い取っていた。担当刑事氏は当方の話から同情を寄せて下さり、次に来店のとき??


   『被害の病院長も事情を理解されましてね??相手様も被害者、
    迷惑はお互いだからと仰って、御礼の現金を預かりましたので
    受領書にサインをお願いします??』と依頼があった旨を説明された如新nuskin產品


      「それでは院長先生が二重の損??という結果になります。
         私がこの金子を戴く訳には参りません??」


と断わったが『申し付かったことですから受け取って戴かないと私も困ります??』というので従うことにする。大岡裁きを見せてくれた刑事氏の振る舞いに嬉しい気持ちにさせられた私であった。翌朝、全く面識の無い病院長という人からお礼の電話が入る。


   『博物館の鑑定証を付されてまで愛蔵なさった品を
       戻して頂き恐縮しております。有難うございました??』


とその理由を言っておられたが愛刀家の心情をお互いが理解し合え、その日はとても穏やかな気分になれた。古美術を愛玩する者にとって盗難に遭うということは大きな精神的負担である。


   『古女房が盗まれたのなら 直ぐにも替わりを見つかるけど、
        美術品の代わりばかりは そう簡単に見つからないからな??』


盗難事件の後、仲間たちとは冗談を交わしたものだが、その古女房も一昔前に此岸を去ってしまった。古い骨董仲間も気が付けば順次彼岸に旅立って行く。時が過ぎた今頃になって金子や天秤棒では計ることの出来ない女房や仲間たちの存在を改めて想い出している私である。  


Posted by gren at 20:41Comments(0)